①ゲームフラゲ。いつものビーチさん
http://pokebeach.com/
おそらくコロコロですね。
②プロモ祭り。公式さんいろいろ
http://www.pokemon-card.com/
③ピカチュウ大量発生など。ポケモン公式さんいろいろ
http://www.pokemon.co.jp/
夏休み中にポケセンに1回は行きたいです。
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任天堂
1980年(昭和55年)春
世界初の携帯型液晶ゲームマシン「ゲーム&ウォッチ」発売。
(1981年、アメリカで「ドンキーコング」発売。大ヒット)
1982年(昭和57年)
「ゲーム&ウォッチ マルチスクリーン(上下2画面)」
「ドンキーコング」が世界的大ヒット
十字キーの誕生
初めて十字キーが採用されたのはこのゲーム&ウォッチ「ドンキーコング」
それまでの業務用ゲームや家庭用ゲーム機のコントローラー(方向指示キー)には、 ジョイスティックやボリュームパネルが採用
ゲーム&ウォッチは薄く小さいからそれらは付けれなかったので代わりに横井氏が発明。
ジョイスティックに比べ遙かに使う筋肉が少ないため疲れない。
これは後にファミコンにも搭載され、単純で抜群の操作性は 「未来のマルチメディア機器に搭載するのは十字キー」(ビル・ゲイツ) と言わせました。
1983年(昭和58年)7月15日、「ファミリーコンピュータ」発売。
同時発売ソフトは、「ドンキーコング」「ドンキーコングJR」「ポパイ」。 一月後には「五目ならべ」「麻雀」、更に 「マリオブラザーズ」が続く。
バラエティに富む充実したソフトラインナップ
業務用の移植・対戦型・思考型ゲーム-で牽引し、 発売から半年で47万台、翌年には165万台を売り、他の家庭用TVゲーム機を押さえ独走態勢に入った。
1985年(昭和60年)9月13日、ファミコン人気を爆発させるソフトが登場。
「ドンキーコング」「マリオブラザーズ」に続いて宮本茂氏が手掛けた 「スーパーマリオブラザーズ」
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宮本茂氏
元々工業デザイナー
任天堂は当時、工業デザイナー枠の募集はしていなかったが、宮本の父が当時の任天堂社長・山内溥と友人だったこともあり、特例で面接の場を得ることが出来た。当初山内は乗り気ではなかったが、積極的なプレゼンを行ったことで、山内の「ものづくりが出来る社員が欲しい」という眼鏡に叶い、入社が決まった。
世界的にもすごい人のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E8%8C%82
おそらくサトシのライバル、シゲルの名前はこの人から
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80年代前半に世界中で大ヒットを飛ばした「ゲーム&ウォッチ」は 基本的に1台につき(内蔵された)1種類のゲームしか遊べず。
ソフト内蔵方式の「ゲーム&ウォッチ」から8年、 横井氏率いる開発第一部チームは、カセットによってソフトを取り替えられる方式の 携帯型ゲーム機を開発する。
【 携帯型のファミコン 】
(設計面はファミコンと同レベルで) 「ファミコン(14,800円)より安い値段で売り出す」 。
これがマルチソフト型携帯ゲーム機に課せられた至上命題
携帯型ゲーム機の開発にあたり、横井氏はコスト削減のため削れるものは全て削ったが、「あまり深く考えず、つけてもそうコストは上がらないし、 なにかそこで面白いゲームが出てくることが期待できる」という理由から 「通信機能」を付けた。
【 ゲームボーイ登場 】
1989年4月21日、「ゲームボーイ」発売。12800円の低価格。
(単3アルカリ電池4本で35時間使用可能)
同時発売ソフトは 「スーパーマリオランド」「テニス」「ブロック崩し」。
ゲームボーイは子供にも大人にも売れた。そして世界中で販売された。
このゲームボーイの 「通信機能」に注目し、交換という新たな概念を盛り込んだ
ポケットモンスター(当初はカプセルモンスター)の企画をポケモン生みの親、
田尻聡(さとし→アニメのサトシ)氏が任天堂に持ち込み採用される。
ポケモン赤、緑は当初予定から諸事情により6年以上が経過した1996年に発売、やがて大人気を博した。
http://pokebeach.com/
おそらくコロコロですね。
②プロモ祭り。公式さんいろいろ
http://www.pokemon-card.com/
③ピカチュウ大量発生など。ポケモン公式さんいろいろ
http://www.pokemon.co.jp/
夏休み中にポケセンに1回は行きたいです。
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任天堂
1980年(昭和55年)春
世界初の携帯型液晶ゲームマシン「ゲーム&ウォッチ」発売。
(1981年、アメリカで「ドンキーコング」発売。大ヒット)
1982年(昭和57年)
「ゲーム&ウォッチ マルチスクリーン(上下2画面)」
「ドンキーコング」が世界的大ヒット
十字キーの誕生
初めて十字キーが採用されたのはこのゲーム&ウォッチ「ドンキーコング」
それまでの業務用ゲームや家庭用ゲーム機のコントローラー(方向指示キー)には、 ジョイスティックやボリュームパネルが採用
ゲーム&ウォッチは薄く小さいからそれらは付けれなかったので代わりに横井氏が発明。
ジョイスティックに比べ遙かに使う筋肉が少ないため疲れない。
これは後にファミコンにも搭載され、単純で抜群の操作性は 「未来のマルチメディア機器に搭載するのは十字キー」(ビル・ゲイツ) と言わせました。
1983年(昭和58年)7月15日、「ファミリーコンピュータ」発売。
同時発売ソフトは、「ドンキーコング」「ドンキーコングJR」「ポパイ」。 一月後には「五目ならべ」「麻雀」、更に 「マリオブラザーズ」が続く。
バラエティに富む充実したソフトラインナップ
業務用の移植・対戦型・思考型ゲーム-で牽引し、 発売から半年で47万台、翌年には165万台を売り、他の家庭用TVゲーム機を押さえ独走態勢に入った。
1985年(昭和60年)9月13日、ファミコン人気を爆発させるソフトが登場。
「ドンキーコング」「マリオブラザーズ」に続いて宮本茂氏が手掛けた 「スーパーマリオブラザーズ」
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宮本茂氏
元々工業デザイナー
任天堂は当時、工業デザイナー枠の募集はしていなかったが、宮本の父が当時の任天堂社長・山内溥と友人だったこともあり、特例で面接の場を得ることが出来た。当初山内は乗り気ではなかったが、積極的なプレゼンを行ったことで、山内の「ものづくりが出来る社員が欲しい」という眼鏡に叶い、入社が決まった。
世界的にもすごい人のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E8%8C%82
おそらくサトシのライバル、シゲルの名前はこの人から
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80年代前半に世界中で大ヒットを飛ばした「ゲーム&ウォッチ」は 基本的に1台につき(内蔵された)1種類のゲームしか遊べず。
ソフト内蔵方式の「ゲーム&ウォッチ」から8年、 横井氏率いる開発第一部チームは、カセットによってソフトを取り替えられる方式の 携帯型ゲーム機を開発する。
【 携帯型のファミコン 】
(設計面はファミコンと同レベルで) 「ファミコン(14,800円)より安い値段で売り出す」 。
これがマルチソフト型携帯ゲーム機に課せられた至上命題
携帯型ゲーム機の開発にあたり、横井氏はコスト削減のため削れるものは全て削ったが、「あまり深く考えず、つけてもそうコストは上がらないし、 なにかそこで面白いゲームが出てくることが期待できる」という理由から 「通信機能」を付けた。
【 ゲームボーイ登場 】
1989年4月21日、「ゲームボーイ」発売。12800円の低価格。
(単3アルカリ電池4本で35時間使用可能)
同時発売ソフトは 「スーパーマリオランド」「テニス」「ブロック崩し」。
ゲームボーイは子供にも大人にも売れた。そして世界中で販売された。
このゲームボーイの 「通信機能」に注目し、交換という新たな概念を盛り込んだ
ポケットモンスター(当初はカプセルモンスター)の企画をポケモン生みの親、
田尻聡(さとし→アニメのサトシ)氏が任天堂に持ち込み採用される。
ポケモン赤、緑は当初予定から諸事情により6年以上が経過した1996年に発売、やがて大人気を博した。
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